恋愛カウンセラーのアスナです。

このブログでは、恋愛や人のココロについて、役立つ情報を発信しようと思っています。

というのも、読者さんには「読んで役に立った」って感覚を持ち帰ってページを閉じてほしいから。

あとは、「ぶっちゃけ、私の個人的な話なんて、多くの人にとってはどうでもいいっしょ」と思っているから。

だから、恋愛に関してどんな検索ワードが検索されているんだろう、とか
普段接している会員さんたちのお悩みを掘り下げるような形で進めるときもありますが、

一応ちゃんとリサーチして、引用できるような情報も探して…という、割ときっちりした作りこみ方をしています。

でも、アクセス解析をしていると、個人的な話を書いた記事も、意外と読まれていることを知って、たまには、私の暗い過去について書いてみようと思いました。

私が接している会員さんたちの中には、根深いトラウマで、人を好きになれない、人と付き合うのが怖いという人がいます。

私も、人が嫌いでした。できることなら、誰ともかかわらず、1人の世界で生きていたいと思っていました。

人は私を傷つける存在だと思っていました。

でも、そんな私でも、恋愛をして結婚して、今は好きなことをして楽しく生きているので、大丈夫です。世界は広いです。

とはいえ、暗い話なので、「そういうの苦手」という方は読み飛ばしてください。

人間不信の始まりは、「誰に何を言っても、わかってもらえない」という感覚

今もそうなのですが、私、過敏な体質なんです。強い光とか、音とか浴びてると軽い興奮状態になる。

混沌や人混みが苦手で、人の多い場に行くとグッタリ。

エレベーターとか電車も苦手なので、できるかぎり使わないで済むような生活をしています。

光とか音とかが少しでもあると眠れないので、夫とは寝室を分けてます。

あと、幼少期の記憶も割と鮮明にある。記憶力も、かなり良いほうだと思います(夫によく驚かれるし、そのせいで彼はウソがつけないらしい)。

そんなわけで、結構面倒くさい体質で、引っ越しなど、周囲の環境が大きく変わっても、必ず寝込みます。

それなのに親が転勤族だから、もう最悪。小学生にして、ストレスで円形ハゲができていました。

つらかったのは、ものすごく苦痛な環境にいながら、自分では何1つ居場所を選べなかったこと。

両親は、同じような体質ではなかったので、幼い私がいくら訴えても、この苦痛をまったく理解していないようでした。

それどころか、神経質、変わり者扱い。病気扱いさえされていた。

自分の不快な思いを伝えているのに、伝わらない。わかってもらえない日々でした。

苦手なものを押しつけられていくうちに、人が嫌いになっていった

もう1つ大嫌いだったもの。それは集団行動。

「自分のペースでやらせてくれよ」「自分のやりたいことくらい自分で選ばせてくれよ」って感じ。

だから、幼稚園も学校も行きたくなかった。

親が共働きだったので、学校終わりに学童教室に通ってたんだけど、
やりたくもないのに皆でドッジボールとかさせられ、食べたくもないのに、おやつとか皆と一緒に食べなくちゃいけなかった。

それが嫌で、勝手に休んだら、母にものすごく怒られた。

当時、周囲にいた大人たちの対応も皆、同じような感じでした。

「嫌なものは嫌」だと言っているのに、「ガマンが足りない」「皆がやっているからやりなさい」と言われる。

「つらい、できない」と言っているのに、「なんで?」と怪訝な顔をされる。

自分が当たり前のように発言したことに対して、「えっ!? 意味がわからない」と驚かれたり、笑われたりする。

そういうことばかり。

自分の言葉は、何を言っても、伝わらない。耳を傾けてもらえない。

小学校の高学年のときには、幽体離脱みたいな、魂だけ抜け出して自分を見ている…という不思議な現象をときどき経験してたのですが、今考えると「離人症」というものかもしれません。

今だから言えるけど、空想の世界に、何人かお友達もいました。ガチで妖精や人形と会話してました。

そして妖精がいるということを主張したら、小学3年生のとき、クラスの意地悪な男の子に、からかわれ、以来イタいヤツ扱いされました。

どうせ何を言ってもムダだし、自分がおかしいんだ。

私はいつからか、そう思うようになりました。

「自分は受け入れられていない」という感覚が常に強くありました。

そして、それが、だんだんと「不信感」という形で現れるようになりました。

誰に何を言われても、「私のことなんて何もわかってないくせに」という被害意識のような思いが芽生えてきました。

人に対する不信の芽は、この頃に育っていったのだと思います。

人間不信が、人に対する憎しみとなって爆発したとき



そんな子供時代を過ごし、中学に進学したら、中学校がやたらと校則が厳しくて、担任の先生も頭が固くて厳しかったんですよね。

おまけに、あの年頃の女子って、どこに行くのも一緒。一緒に行動しなければ「裏切られた!」と騒いだり、陰口たたいたり。

ただでさえ、息苦しいという感覚でずっと生きてきたのに、ますます自分の居場所をむしりとられるような、そんな気持ちでした。

校則を守っていないという理由で、学校に行けば先生に「なめんなよ」と怒られ、家に帰って「学校に行きたくない」と行ったら、「いいかげんにしなさい!」と怒られる。

ふてくされた態度で学校に行ったら「なんだ、その態度は?」と言われる。それで家に帰って「やっぱり学校に行きたくない」と言ったら母に泣かれる。

そんなことが繰り返されているうちに、あるとき私の何かがプツンと切れました。

「どうして、誰もわかってくれないんだ!」
「どうして私の言っていることを誰も認めてくれないんだ!」

という猛烈な怒りがこみ上げてきたのです。

家庭と学校しか居場所がない十代前半、家でも学校でも、自分の言っていることを受け入れてくれない。頭ごなしに否定される。皆が私の居場所を奪う。

その猛烈な怒りは、次第に「憎しみ」に変わりました。

幼い頃から少しずつ積み重なっていった、不信の芽によって、一気に火がついたのだと思います。

憎しみってタチが悪い感情で、理性のストッパーが外れちゃうんですよね。

本当にね、一歩間違えば、何か重大事件でも起こしてたんじゃないかってくらい、荒れました。

もうね、攻撃的な言動しか出てこないの。当時、いろんな人に迷惑かけたと思います。ごめんなさい。

生きている世界が狭かったから、家庭と学校が私にとっての「世界」だったんです。

だから、あの頃の私は「世界」に否定された気持ちになっていました。すべてに否定されていると思っていました。

人に対する不信感は、この頃には「拒絶感」になりました。誰が何を言ってもダメ。すべてが「嫌い」だった。憎かった。

この頃の写真を見返すと、恐ろしいくらい目が怖いです。常に何かを睨みつけるかのような表情をしています。内面って見た目に出るんですね。

価値観が壊されながら、少しずつ、拒絶感や不信感を手放していった

そんな私がなんで変わったかっていうと、やっぱり人との出会いかなと思います。

もちろん、人への拒絶感がすぐに手放せたわけではないし、行ったり、戻ったりの繰り返しだったけど、

「信じていい人もいるかもしれない。全員が敵ではないかもしれない」と思えるようになった。

高校が定時制だったんだけど、定時制高校に来る人って、同じように傷を抱えている人も結構多くて、
「ああ、この感覚、自分だけじゃないのね」と思えたこととか

東京に来てからは、ものすごい変わり者にもたくさん出会って、それでも堂々とカッコよく生きてるカッコイイ人たちがたくさんいて、
「自分らしくいてもいいんだ」ということを知っていった。

思いきって自分をさらけ出してみると、意外とすんなり受け入れてくれる人や、生きてるだけでゴミクズだと思っていた自分を好きになってくれる人がいることも知った。

そうやって少しずつ、少しずつ、拒絶感や不信感を手放していきました。

それでも、25歳までは、毎日「死にたい」と思ってた



これは誰にも言ったことないんだけど、実は25歳くらいまでは常に「死」を考えて生きてました。

朝が来るのがユウウツで、朝がこのまま来なければいいと思っていた。

体質的にセロトニン(幸福ホルモン)が少ないと言われたこともあって、常にウツウツとしているメンヘラでした。

でもね、25歳を機に変わったんです。本当に。

25歳のとき、私は「開業届」を出しました。独立すると決めて、企業に属さず生きていく道を選んだのです。

そこから、すべてが主体的になりました。「やらされる」ものが1つもなくなり、自分ですべてを選択できるようになったのです。

自分の経験から1つ言えるのは、幸せになりたいなら、「主体的」に人生を生きることです。

他者に人生を委ねない。自分の人生を自分で決めて、最高に愛する。誰にも、何にもコントロールされない生き方をする。

そうなったときに、私は変わった。人にも自分にも優しくなれた自分に気がついたのです。

過去も含め、自分のすべてを許せるようになったとき、私は他者の一挙一動に怯えなくなりました。

私の人生、私という人間には既に十分な価値があり、それは外部の何者も脅かせないと知ったからです。

そして、自分の責任で人を信頼し、自信を持って人を「好き」だと言えるようになりました。

自分の望む世界は自分で「選べる」と思ったとき、生きることが初めて楽しいと思えたのです。

人間不信に苦しむ会員さんたちを見て思うこと

そして、今、恋愛のお仕事を始めるようになって

「傷つくのが怖くて恋愛ができない」
「人間不信で人を好きになれない」

という方々とも出会ってきました。

このような方々は、もしかしたら、
私のように、幼い頃に「人から受け入れてもらえなかった」という経験や、強い否定を経験したのかもしれません。

私も強い不信感を手放せずにずっと生きてきた人間です。

それでも、

・自分のこれまでの価値観がぶち壊されるくらい、ぶっ飛んだ人たちとたくさん出会うこと

・すべてに主体的に生きること(自分で何をしたいか選び取っていく)

この2つを意識していれば、マジで人生変わります。自然と人が好きになります。

「妖精と会話してた」と打ち明けたら、「私も!」なんて人、本当にいますからね。それどころか「宇宙語を話せる」という人にも出会った。

本当に世界って広いんです。たった1人、信じられる人が見つかれば、そこからまた1人、増えていく。

広い世界に踏み出す最初の1歩は怖いかもしれません。でも、踏み出せば、そこから必ず変わります。

すべては自分で選び取っていくものです。

最後に:人間不信・人間嫌いでも、人って変わるよ

私の人生の前半は、割とつらいことだらけでした。

10代は人間不信と怒りと憎しみにまみれ、20代前半は重度のメンヘラでした。

でも、こんな私でも今は幸せなので、変われます。大丈夫です。楽しく生きてます。

どうか恐れずに1歩を踏み出してみてください。